【タモリステーション】ヒット商品100年史まとめ①昭和元年〜昭和50年の44品!

\この記事は10分くらいで読めます/

- はじめに
- 激動の昭和100年流行簡易表
- ヒット商品は時代を映す鏡 ヒット商品100年史
- 昭和2年(1927年):栄養菓子「グリコ」(10銭)
- 昭和3年(1928年):明治コナミルク
- 昭和4年(1929年):アース
- 昭和5年(1930年):御子様洋食(30銭)
- 昭和6年(1931年):ナショナル乾電池
- 昭和7年(1932年):花王シャンプー(5銭)
- 昭和8年(1933年):ビスコ(10銭)
- 昭和9年(1934年):アッパッパ
- 昭和10年(1935年):カルピス
- 昭和11年(1936年):ナショナル電球 第1号(36銭)
- 昭和12年(1937年):サントリーウイスキー角瓶
- 昭和13年(1938年):もんぺ
- 昭和14年(1939年):ゴールデンバット 8銭
- 昭和15年(1940年):ニッカウヰスキー
- 昭和16年(1941年):キユーピーマヨネーズ(約50銭)
- 昭和17年(1942年):ヒット商品なし
- 昭和18年(1943年):ヒット商品なし
- 昭和19年(1944年):ヒット商品なし
- 昭和20年(1945年):日米会話手帳
- 昭和21年(1946年):キスミー特殊口紅
- 昭和22年(1947年):サングラス
- 昭和23年(1948年):足踏みミシン
- 昭和24年(1949年):アロハシャツ
- 昭和25年(1950年):ブラジャー
- 昭和26年(1951年):ミルキー
- 昭和27年(1952年):カブ号F型(25000円)
- 昭和28年(1953年):白黒テレビ(175000円)
- 昭和29年(1954年):脱水機能付き洗濯機
- 昭和30年(1955年):トランジスタラジオ(18900円)
- 昭和31年(1956年):ポップアップ型トースター(5200円)
- 昭和32年(1957年):コカ・コーラ
- 昭和33年(1958年):チキンラーメン(35円)
- 昭和34年(1959年):バンドエイド
- 昭和35年(1960年):カラーテレビ 21型D-21WE(520000円)
- 昭和36年(1961年):しょうゆ卓上びん(40円)
- 昭和37年(1962年):リポビタンD(150円)
- 昭和38年(1963年):タッパーウェア
- 昭和39年(1964年):VAN
- 昭和40年(1965年):ジャルパック
- 昭和41年(1966年):トヨタ 初代カローラ (432,000円~)東京
- 昭和42年(1967年):ミニスカート
- 昭和43年(1968年):ボンカレー(80円)
- 昭和44年(1969年):アツギ パンティストッキング
- 昭和45年(1970年):エメロンクリームリンス(200円)
- 昭和46年(1971年):カップヌードル(100円)
- 昭和47年(1972年):カシオミニ(12800円)
- 昭和48年(1973年):オセロ(2200円)
- 昭和49年(1974年):三代目カローラ
- 昭和50年(1975年):チルチルミチル(100円)
- まとめ
- 他の年代もチェック✅する🔍
はじめに
2026年3月30日放送の『タモリステーション』で特集された
「ヒット商品100年史」。
全96品という圧倒的なボリュームを、
番組の構成に合わせて3回に分けてご紹介します。
第1回となる今回は、昭和元年から昭和50年までの50年間をピックアップ!
戦前の貴重なヒット商品から、戦後復興を支えた「三種の神器」、
そして生活がガラリと変わった高度経済成長期の名品まで、
激動の歴史を一気に振り返ってみましょう。

2025年 クマ被害🐻過去最多(北海道・盛岡など…)
出典:| khb東日本放送
2025年 クマ対策として、クマスプレーの需要が急増

そして近年 日本を襲う 異常気象
豪雨 猛暑 渇水

出典:ライフウィズリンクス
2024年 夏の平均気温 過去最高
※当時
2024年 猛暑対策…冷感じるグッズがヒット

激動の昭和100年流行簡易表
| 時代 | 特徴 |
|---|---|
| 昭和元年(1926) ▶▶▶ 昭和10年(1935) | 栄養不足・停電など生活困難の中、日本人を救った商品が登場 |
| 昭和11年(1936) ▶▶▶ 昭和20年(1945) | 戦争で孤立し、国産品の需要が高まる |
| 昭和21年(1946) ▶▶▶ 昭和30年(1955) | 戦後復興期、日本の技術が大きく花開く |
| 昭和31年(1956) ▶▶▶ 昭和40年(1965) | 「もはや戦後ではない」活気に満ちた時代へ |
| 昭和41年(1966) ▶▶▶ 昭和50年(1975) | 高度経済成長期、インスタント・便利商品が次々登場 |
| 昭和51年(1976) ▶▶▶ 昭和74年(1999) | 一億総中流からバブル崩壊へ、若者文化が台頭 |
| 昭和75年(2000) ▶▶▶ 昭和100年(2025) | ミレニアム・新型コロナ・大谷翔平・万博など激動の時代 |

ヒット商品は時代を映す鏡 ヒット商品100年史
昭和元年(1926年):ヒット商品なし
昭和元年から10年間 当時の公務員の初給料 75円。
大正から昭和へ。激動の100年の幕開けです。
金融恐慌が起こり
日本では不況に苦しんでいました。
【BGM】蒲田行進曲
(歌っている方、判別付きませんでした
おそらく、【川崎豊 曽我直子】ver.)
この10年ってのはね やはりひとつは栄養不足
人々 それから 子どもやなんかの栄養不足ってのがあって…。
栄養不足にどう対応するか
昭和2年(1927年):栄養菓子「グリコ」(10銭)
出典:江崎グリコ(Glico)
栄養不足の子どもたちを救った国民的お菓子
不況による食糧難は
子どもたちをも襲いました。
【昭和初期の朝食(再現)】
・麦飯
・味噌汁(だいこん?かぶ?)
・らっきょう漬け
・梅干し
満足に栄養が取れなった子どもたちも多く
学校がおにぎりを支給しても
半分残し 家で待つきょうだいやお母さんに
持ち帰る児童も。
そんあ子どもたちを救ったヒット商品こそ…。
江崎グリコの栄養菓子グリコ。
今も変わらないハート♡型のキャラメル菓子でした
(1箱10銭)
出典:「ハート型のキャラメル菓子 グリコ」
甘くておいしくてそして栄養補給ができると
まぁー親にとっても子どもにこういうような
おやつを与えるのはプラスがあった。
実は 江崎グリコの創業者
江崎利一は効率よくエネルギーとなる栄養菓子開発のため
ある成分に注目しました。
それが、海のカキの貝殻。
カキにエネルギーの源となる大量のグリコーゲンが入っていると。
利一はですね 有明海の近くにいましたので
ここのカキ小屋で煮汁を見てですね…。
カキの煮汁にグリコーゲンが入っているのではないかと
ということで今で言う九州大学に成分を…お願いしました。
(カキの煮汁に)グリコーゲンが入っているということで
このグリコーゲンをなんとか 広く世の中に活用したいなと。
そう カキのグリコーゲンという成分に注目した江崎は
カキのエキスと砂糖などを原料にグリコを作り上げたのです。
そしてそのパッケージには…。
【一粒三百米突】=一粒三百メートル の文字
これは…(男性が)300メートル走ることのできるエネルギーが
一粒に含まれていることを意味していました。

【BGM】🎶二村定一「アラビアの唄」
(曲名知らなくてGoogleで鼻歌検索したら、出てきましたww)

そして翌年にも
子どもたちを救う
栄養豊富な明治コナミルクがヒット。
昭和3年(1928年):明治コナミルク
出典:Xより
母親と乳児を救った世主。育児スタイルの転換点となりました。
さらに衛生環境が悪かった この時代
昭和4年(1929年):アース
出典:アース製薬
家庭用噴霧式殺虫剤のさきがけ。
衛生環境の向上に貢献しました。
重宝されたとのこと。
当時は貧富の差も激しく
富裕層を中心に御子様洋食が大ヒット。
昭和5年(1930年):御子様洋食(30銭)
出典:読売新聞オンライン
子どもに夢のある洋食。
デパートの食堂で子供の夢に。
現在のお子様ランチの始まりです。
昭和6年(1931年):ナショナル乾電池
出典:ライブドアニュース
停電時の強い味方。
家庭への電気の普及を象徴するヒット商品。
多くの家庭を悩ませていたのが…
電力の供給が不十分で頻繁に発生していたという停電。
その悩みを解決したナショナル乾電池でした。
【紹介VTR】
夕飯を食べる家族の食卓に突如停電。
怖がってお母さんに近づく息子。
お父さんがナショナル乾電池をつけて
「ほら。これで明るくなったろう?」
安心する息子という一コマが。

出典:たけなかアトリエ
【BGM】藤山一郎「丘を越えて」
(曲名知らなくて鼻歌検索したら、こちらも出てきましたww
3分あるこの歌?
歌の始まりは1分35秒あたりから…イントロ長いww)

昭和7年(1932年):花王シャンプー(5銭)
出典:歴史まとめ.net
生活を劇的に向上させる商品が。
【女性の悩みを解決】
月に1回の髪洗いを月2回に!
洗髪に革命を起こしたシャンプー
洗髪習慣を日本に普及させた、粉末タイプのシャンプーです。
そもそも 毎日 洗うのが常識になったのが
いつかっていうことですね。
僕の見るところでは80年代かな。
恥ずかしながら私だってですね 子どもの頃ですね
1960年代にはやっぱり そんなもんですよ。
週1回か2週間に1回です。
先生が生まれるもっと前
昭和7年頃の女性の髪事情。
花王によれば 洗うのは月1回程度。
まず今と絶対違うというのは…。
お風呂と髪の毛を洗うってのは別の場所で行われていたんですね。
髪の毛ってのは部屋で洗っていたんですね。
洗って乾かすまでっていうのは
半日がかりぐらい かかってたそうなんです。
【洗髪→乾燥までに約10時間】
当時は 部屋の中で うどん粉を溶かした水で
髪を洗っていたのですが…。
≪全然落ちない…≫
油で髪をガチガチに固めていた女性は…。
洗って乾くまで約10時間
それを解決したのが このシャンプー。

出典:明治期 幕末 白黒 古写真 幕末の入浴風景 髪結い
(これは明治頃の様子)
番組では花王シャンプーの実物を見せてくれる映像も!
館長:
「もう粉になるので辛うじて塊になっているもの
なんですけどこんな形です。
落雁状(らくがんじょう)に作ったシャンプーです。」
石けんのような形をしていますが、
れっきとしたシャンプー。
お湯で溶かし 泡立てて使うのだそう。
これまでのものより 洗浄力が強く
髪洗いの時間が数時間短縮できたとも。
【再現VTR】
畳の部屋で髪を洗っている女性
(タライに入った水と花王シャンプー)
≪何?これ… すごい! どんどん落ちてる≫と喜んだ表情
出典:ジャパンアーカイブズ – Japan Archives
【発売当時の広告記事には】
せめて月二回は!
髪を洗って下さい、汚れた髪は衛生に
悪いばかりでなく他迷惑でございます。髪洗ひ 花王シャンプー
弱気なコピーに聞こえますが
当時の感覚ではこれでも すごい変化だったのです。
徐々に不況から脱していった日本。
昭和8年にはグリコに続く栄養菓子 ビスコ。
昭和8年(1933年):ビスコ(10銭)
出典:ビスコ|江崎グリコ
酵母入りビスケット。
今もなお愛され続ける超ロングセラー。

昭和9年には 和服から洋服へ
昭和9年(1934年):アッパッパ
簡易的なワンピースが大流行。
女性の装いがより機能的になりました。


昭和10年(1935年):カルピス
出典: ECナビ
日本初の乳酸菌飲料。
キャッチコピー「初恋の味」として一世を風靡しました。
元々は大正8年に
栄養飲料として誕生したカルピス(日本初の乳酸菌飲料)ですが…。
キャッチコピーを変えたことで再ブレーク。
出典:Instagram
「此の一杯に初戀の味がある。」
(この一杯にはつこいの味がある)当時のキャッチコピー
(そう言っていたよね…とタモリさんがコメント)
当時は 口にすることも はばかられるような
言葉だったという 初恋の味は…。
モダンな若者たちの支持を受け
新しい時代を象徴する大ヒットドリンクとなりました。
【再現VTR】
喫茶店でカルピスを飲む女性が2人。
少し離れた席で飲み物を飲む男性に
女性の1人がウインクをして、
目があった男性が戸惑い、
☕を音を立ててテーブルに置き
視線を逸らす映像が流れていました。


夏になると無性に飲みたくなりますね
そして こののち 日本は
戦争へと向かっていくことになります。
日本は戦争期へ 
タモリさん→名取裕子さんへ質問
Q:何か思い出しますか?ヒット商品
A:あのビスコとかカルピスとかは・・・。
こんな時からあったんだと思って
今でも美味しく頂いてますから。と回答
タモリさん→早稲田大学 教授 野口智雄さんへ質問
Q:毎年相当な商品が発売されておりますけど
ヒット商品っていうのは
やっぱり少ないんですかね?
A:たくさんの中のごく一部ですね。
えーまぁその日本人がですね。
抱えていた不満とか不便さとかあるいは憧れとか
そういったものにマッチングした時に生まれると
背景をきちんと分析することによってですね
現在の閉塞感とか逼迫感(ひっぱくかん)とか
まぁそういったようなものを是正(ぜせい)できるような
商品開発こういうのが出来るんじゃないかと
という気が致します
是正→意味:誤っている点をなおして正しくすること。

昭和11年から10年間 当時の公務員の初給料 75円。
昭和12年(1937年~) 日中戦争。
そして
平成16年(1941年~) 太平洋戦争が始まりました。
戦争に翻弄された 激動の10年。
どんなヒット商品が生まれたのでしょうか?
出典:太平洋戦争「最大の転機」を歴史的な写真で振り返る | ハフポスト NEWS

やはり あの戦争の雰囲気っていうのが
まぁ一般の人たちも感じ取るような時代になってきて
まぁ自分たちで作れるものは
欧米に負けないように作って行かなければいけないと
日本人でもちゃんと作れるんだぞと
というような商品がヒットした。
昭和11年‐20年のキーワード🔑
国産
昭和11年(1936年):ナショナル電球 第1号(36銭)
純国産に成功。
日本の夜を明るく照らし始めた、国産電球の普及モデル。
【BGM】藤山一郎「東京ラプソディ」
昭和12年(1937年):サントリーウイスキー角瓶
出典: SUNTORY 公式ブログ
国産ウイスキー
スコッチに負けない日本のウイスキーとして開発。
亀甲型のボトルが特徴。日本のウイスキー文化を築きました。
昭和13年(1938年):もんぺ
出典: 毎日新聞
戦時期の女性の多くが着用したズボン。
戦時下の女性のスタンダードな活動着として広まりました。
【放送時の映像】
昭和16年4月8日
宝塚歌劇団 イタリア大使館慰問の様子
よく見ると…衣装はもんぺ。
出典:note
実用性が上がると
国から着用を求められるようになります。
【再現VTR】
鏡を見つめる一人の女性….
しかし当時の女性には こんな悩みも…。
≪やっぱカッコ悪い≫
【BGM】 ♬旅の夜風 – 霧島 昇・ミス・コロンビア(松原 操)
戦時中の女性について研究する専門家
飯田さんによると
もんぺが 同時に かっこ悪いっていうことを
かなり言われて…。
特に女学生とかまぁその若い人たちが
そういうもの(もんぺ)を着たくない
(ナレーション)そこで 当時の女性たちは
少しでもオシャレになるよう
手作りに アレンジにアレンジを重ね…。
だからものスゴくいい着物を
わざわざ(生地に)使ったりとか
で、だからどんどん(もんぺが)派手になっていく
っていうのでそれでまた そういうのが禁止されたりとか
そういうことが色々あったみたいですね。

スタジオでは
木村佳乃さん:仕事からもんぺをよくはくことがあって
ドラマや映画で。もんぺには思い入れがあります
(スタジオ一同笑い声)
もんぺ ホントに動きやすくて
結構ラクなんですよ ホントに。
いいんですよ もんぺ。
ねっ? 名取さん。
名取さん:えっ?私?
(スタジオ一同笑い声)
でも 今も 、ほら ああいう感じのイージーパンツとか
そういうので色々 サルエルパンツとか
色んなパンツスタイルがあるし、
だけどなんか かっこ悪いっていうけど…。
宝塚の人が着ていたら
脚長くてカッコ良かった
木村佳乃さん:かっこよかったですよね。
名取さん:ねえ。 なんかファッションとしても
かっこよかったのに。
以降も 戦時中だからこそのヒット商品が
続々と誕生。
物価高で庶民が苦しむ中
最も安価なたばことしてヒットした
昭和14年(1939年):ゴールデンバット 8銭
安価で庶民に親しまれた、歴史あるたばこ銘柄です。
昭和15年(1940年):ニッカウヰスキー
出典:産経ニュース
兵の士気を高めるとして 群の指定品になった
今も人気のウイスキー。
竹鶴政孝氏が情熱を注いだ、本格ウイスキーの誕生。
昭和16年(1941年):キユーピーマヨネーズ(約50銭)

出典:キユーピー
【体格向上を狙う!】
今や食卓の定番になった栄養豊富な調味料。
日本の食卓に新しい味を届け、市場を席巻。
この時代、調味料といえば
・塩・味噌・しょうゆ が主流
味噌汁や焼き魚といった質素な料理が
食卓の定番でしたが…。
ある種贅沢な商品ではあるんだけども
基本的に 栄養が 結構 豊富になりますので
勧められたっていうことがあるんじゃないかなって思います。
今じゃどこの家庭にもある あの調味料は
この時 初ヒットを飛ばしていたんです。
当時のマヨネーズの広告を見せてもらうと…
こちら古い漢字ではあるんですけども
體位向上(たいいこうじょう)
ちょっと聞きなれない言葉かもしれないんですけれど…
まだまだ日本人は栄養が満足にある状態ではなくて
少し体が華奢(きゃしゃ)だったり小さかったするという
現状があったので日本人も より 健康的になってほうしいという
思いもあって「體位向上」というのが書いてあります。
出典:nttコムウェア
卵🥚のたんぱく質といった栄養が豊富なマヨネーズは
そうした時代背景もあり 大ヒットしました。
【再現VTR】
ふかしたじゃがいも🥔にマヨネーズをつけて
食べる夫婦。
「うまい。うまいぞ!」「美味しい!これ。」

太平洋戦争の影響はより深刻なものに。
出典:太平洋戦争

昭和17年(1942年):ヒット商品なし
太平戦争の影響はより深刻なものに。
戦禍激化のため、新しいヒット商品が生まれない困難な時代でした。

昭和18年(1943年):ヒット商品なし
戦禍激化のため、新しいヒット商品が生まれない困難な時代でした。
昭和19年(1944年):ヒット商品なし
戦禍激化のため、新しいヒット商品が生まれない困難な時代でした。
昭和20年(1945年):日米会話手帳
タモリさんが生まれた年でもある
昭和20年に太平洋戦争が終結。
この時にヒットした商品が日米会話手帳。
終戦直後に発行された、日米会話の入門書。
驚異的な戦後初のベストセラーに。(360万部以上)
わずか32ページの手帳で、英語に近い発音が
カタカナで記されている
EX:Thank you サンキュー など
Q:これ野口さん戦後すぐにこの手帳大ヒットしたんですよね
A:ホントにすぐにですね。
ものすごい大ヒットですね。
あのーこれ 日本人のしたたかさっていうのが
見て取れますね。
やっぱり GHQが入ってきて占領下になりましたんで
こういうような状況になったらこれに適合できるような形に
素早く身を変えようとか。
まぁ そういうような
日本人独自のあの柔軟性とか 適応力の強さとか
英語がなるべくできるようコミュニケーションがとれるようにして
生活ができるようにしようと。
タモリさん:「コロッと変わった」
またこの同じ年、昭和20年には
今も刻人に大人気のあるものの販売が開始されています。
ヒント→年末に売れる
タモリさんが宝くじ。と回答!

出典:骨董品の時間
その通り。
この年、1945年(昭和20年)
宝くじが日本で初めて販売されたとのこと。
(昭和20年なの!?とタモリさんもビックリ!)

名取さんが、「富くじとか江戸時代ぐらいから
あった気がするけど…宝くじは」とコメント
宝くじはこの年に販売されたということです。
1枚10円で販売されまして、
1等は10万円(現在の価値で約2600万円)
※企業物価指数を基に算出
4等までは賞金の他に副賞として布がもられたとのこと。
スタジオが「布?」と口をそろえる中

タモリさんが、
「これは やっぱり 物資不足の時代だから…布 布ですか?」
と驚いていました。
【BGM】美空ひばり – リンゴ追分
戦後 家を失った人が溢れていました。
そのような状況の中で
宝くじの収益は戦後の復興のための資金に充てられたのです。

出典:吉野聡建築設計室のブログ

終戦を迎えた日本。
昭和21年から10年間 当時の公務員の初給料 540円。
【BGM】♬岡本敦郎 -朝はどこから
この頃 日本は
まだ 戦争の爪痕が残り
焼け野原からの復興が始まったばかり。
出典: まとめ式戦闘機
52年(昭和27年)までってまぁ占領下にあるって
形になったと思いますので基本的にアメリか軍が日本中にいて
その人たちがまぁ人々の憧れの的だったりだとか
商品に関してもものスゴくアメリカへの憧れだったり
アメリカからの影響が強いのがうん戦後10年間
っていうふうに思います。
昭和21年‐30年のキーワード🔑
アメリカ文化
ひときわ好奇な目を集めたのは
婦人将校たちでした。
アメリカ人の姿に目を奪われ…。
まだ日本では珍しいものを
持っている彼らは
憧れの対象に。
そんなアメリカに近づきたいという思いから
ヒット商品が生まれていったのです。
昭和21年(1946年):キスミー特殊口紅
【女性を熱狂させた口紅】
控えめなメイクから派手なメイクへ
戦後、メイクを楽しむ喜びが復活。女性たちに希望を与えました。

出典:ポーラ文化研究所
江戸時代 すでに口紅を塗る文化が庶民に広がっていましたが
大正時代にスティックタイプの国産口紅が誕生。
それでも 先端を水で溶かす必要があり
手間がかかりました。
キスミー特殊口紅は その手間をかけず…。
そのまま塗ることができる手軽さが支持されました。
【再現VTR】
女性が二人鏡台の前にて
1人が奇麗な口紅が塗れると
「スゴい!」
「私にも貸して!」
「嫌よ!」と
この手軽さは 当時の女性は大喜び!
【BGM】岡晴夫 -東京花売り娘
おしゃれに火がついた日本人
昭和22年(1947年):サングラス
出典:東京メガネ

出典WEB歴史街道
連合国軍最高司令官 マッカーサーに影響を受けて…。
進駐軍の影響で大流行。
新しいファッションへの憧れを象徴。
御婦人方もサングラス。
着物や割烹着にサングラスを合わせるのが 当時の流行でした。
タモリさんが「おかしいよね これ。」とコメント。
(一同笑い声)

昭和23年(1948年):足踏みミシン

出典:找不到頁面
【女性の生きる術】
必需品だった嫁入り道具。
洋裁ブームの立役者。
家庭で服を作る時代を支えました。
番組では実際に嫁入り道具として購入し
70年以上使い続けている人のもとへ…
(安藤孝子さん(92歳))
「どうぞ」と可愛らしい笑顔で出迎えてくれてました。

(ナレーション)
そこには戦争と向き合った女性たちの
強さがありました。
実は 戦前には 全国に120万代普及していた
ミシンですが…。(出典:ジャノメ100年史)
その多くは 空襲で燃えてしまったと
言われています。
それでも 既製品の数が不足していた時代
服は自分たちで作る必要があると
再び購入する人が増えヒットしました。
安藤さんも嫁ぎ先で必要だろうと
両親が持たせてくれたといいます。
【安藤孝子さんの言葉】
21のときに嫁入り道具
あの頃はテレビもないしなぁ洗濯機もないし
(親が)ミシンだけは買ってくれた
縫って(娘に)着せてたよな
もう買うということはなかった
スカートの短いのやら
おかしいの作ってたわ
ハハハハ…!
不細工かもしれんけど
それでも 何か
あの頃 みんな 手作りしてたんじゃないの
あまり洋服屋さんに通った覚えもない

(ナレーション)
そして 同じ時代を生きてきた
小泉和子さん(92歳)は
ミシンには 当時の女性にとって
もう一つ 大きな役割があったといいます。
出典: 日本経済新聞
【小泉和子さんの言葉】
洋裁のね仕事ってのはねかなりね利潤がいいんですよ
だもんですからね…。
既製服をつくるとか工場用の服つくるとか
そういうようなこともしてね。
複員してきた夫があの職がないから
奥さんが洋裁をやるっていうようなところが
たくさんできたわけです。
(ナレーション)
当時 戦争で傷つき
戻ってきた夫の代わりに
働く必要がある女性が
たくさんいました。
そんな女性たちの生きるすべこそ
ミシンだったんです。
【小泉和子さんの言葉】
お寺のお坊さんが言っていたそうですけども
(檀家さんの話で)
「私はねそのこのミシンでもって一家を養って生きてきたと
だから私が死んだら このミシンも一緒に埋めてくれ」
って言ったんですって。
ミシンっていうのは 単なるその道具ではなくて
本当に その頃の女性にとってはね
あのなんていう 道連れっていうかね 同士というか…。
命と一緒にこう
なっ思い出のね詰まったものだった じゃない

【BGM】笠置シヅ子 – 東京ブギウ
徐々に戦争から立ち直っていく日本
昭和24年(1949年):アロハシャツ
出典:X
アメリカに憧れて
夏のカジュアルウェアとして、若者を中心に流行しました。
昭和25年(1950年):ブラジャー

出典: FASHION HEADLINE
立体型 女性用下着
ファッションの欧米化に伴い、下着のスタイルも大きく変化。
昭和26年(1951年):ミルキー
ミルクの甘みで人々を癒した
「ママの味」でお馴染み、不二家のロングセラーキャンディ。
そして昭和27年(1952年)
終戦から6年8カ月続いた GHQの占領東統治が終了。
出典:毎日新聞
すると 日本の モノづくり技術が
一気に開花し…
昭和27年(1952年):カブ号F型(25000円)
世界で愛されるホンダ・スーパーカブの原点
日本の機動力の礎となりました。
その姿は 自転車のようですが…。
後輪につけらえた この赤い部分がエンジン。
そして、白い部分がガソリンタンク。
そう 自転車に取りつけるエンジンこそがカブ号F型。
自転車を電動自転車のようにする代物でした。

【BGM】:江利チエミ テネシー・ワルツ
自分たちの持っているものに合わせて
色んな新しい技術…海外から入ってきたものもふくめて
それをアレンジする力があった
ってことだと思います。
家にある自転車がバイクになる。
その手軽さが受け大ヒットしたんです。
終戦から8年後
ここで三種の神器が登場。
(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)
出典:三種の神器 | GANREF
昭和28年(1953年):白黒テレビ(175000円)
出典:商品ヒストリー
昭和29年(1954年):脱水機能付き洗濯機
家事の負担を劇的に減らした、憧れの生活家電が登場。
現在もラーメン屋さんのおかみとして働く
天川ふくさん(103歳)
当時の衝撃はすごかったといいます。
いや~そりゃあ
洗濯機の中に放り込んどけば
やってくれるんだからね(笑)
選択の労働もなかったし
本当に洗濯機ってよかったですよね
それまではね 裏の入り口のところまで
洗濯板でこうやって洗うでしょ
だからホントに…。
洗濯っていうのは 朝1時間かかる仕事なんですよ
だから…。
姑はね「こんなもの買って愚か者が使うものだ」
なんて言ったくせにそのうち使ってみたら
「あ!これは便利だね」「必需品だね」
何を言いているの 勝手なことを言っているわ
姑なんてって 思いましたよ。ハハハ…。
(ナレーション)中でも 特に画期的だったというのが…。
ローラーがついてました
あの水をちゃんとみんな絞ってくれるから
あーの、あ~ぁって手でこんなこと絞るよりもね
やってくれるから本当に洗濯機ってスゴいなと思いましたよ
出典: いっぱちの社長の独り言
女性には大変な力仕事。
手絞りから解放され格段に負担が減りました。
昭和30年(1955年):トランジスタラジオ(18900円)
出典: 軍用無線のブログ
メイド・イン・ジャパン=高品質に
ヒットした理由は、手で持ち運びできるように
小型化にしたこと。
ソニー(当時は東通工)が発売。世界進出への大きな一歩に。
【BGM】:♬月がとっても青いから 菅原都々子
トランジスタの小型化する前ってのは
デカい真空管使わなきゃしょうがないので
昔の、あのーブラウン管のでかいテレビ自臓器ぐらいの
存在感が各家庭にあって
仕事場でも遊び場でもどこでも聴けるぞ
どこにでも持っていけるぞラジオってのは
60年代いっぱいはものスゴくインパクトがあったと思います。
憧れ続けたアメリカに
日本の技術を知らしめた
歴史的ヒット商品になりました。
スタジオにてタモリさんの話
タモリさん
「あの…中学2年の時にトランジスタラジオを私作ったのを思い出しましたね。」「高校生の時は短波ラジオ作ってましたからね。」
木村佳乃さんと名取裕子さんから
「すごい」「えぇー」と驚かれていました。
タモリさん:「それから、ミシンは思い出ありますね。」
名取裕子も「ありました。母がね 持ってて こっちで回して…
で 自分も使えるようになってたけど…。
今の若い方は※「回す」とっても誰もわからないですよね」
こうやって足を踏む…リズムをとりながら。」

※針の位置を微調整する為に回転させる部分
木村佳乃さんも
「私も母が足踏みミシンを使っていたので 私も
下で こうやって 手で…。」
タモリさん:「それとまた洋裁の雑誌というのがありまして
それに型紙が付いていまして… ありましたよね」
と、野口さんも井村佳乃さんも「ありました」「懐かしい」と話していました。
またタモリさんが「折りたたんで入ってて ページめくって こう 伸ばすと。」
名取さん→「日本の女性の手先が器用だったから
そういうのがどんどん上手になって…日本製の美しいものが
たくさん出来ていったんでしょうね。」とコメント

昭和31年から10年間 当時の公務員の初給料 8700円。
【BGM】石原裕次郎 嵐を呼ぶ男
もはや戦後ではない
「経済白書」に記された この言葉どおり。
戦後の復興を遂げ
日本経済を支えるインフラが次々と完成

出典:1950年代の東京のまち
昭和30年代は高度経済成長というようによく言われるよう
なりまして、それまでは「消費は敵だ」
「消費することは悪だ」というイメージがあったと
いうところから「消費は美徳だ」という言葉が流行っていました。

【BGM】上を向いて歩こう 坂本 九
昭和31年‐40年のキーワード🔑
消費は美徳
「消費は悪」から「消費は美徳」に。
生活を豊かにする便利なものには
惜しまず お金を使うように
なっていきました。
昭和31年(1956年):ポップアップ型トースター(5200円)
出典:ナショナル トースター ポップアップトースター 600W
朝食準備を便利に
朝食に革命を起こした家電。
朝食の洋風化を象徴する、焼き上がると飛び出すトースター。
戦前からもちろん外食などで洋食を食べれば
パンってものはありましたけど
家で焼いてたべるものっていう感覚では
戦前はなかったと思いますね。
経済成長で食生活が多様化してくる中で
特にまー朝食にトーストを食べるスタイルってのが
この時期に定着した。
朝食の風景がだいぶ変わっていったと思いますよね
この頃から。

【BGM】Doris Day/Que Sera, Sera(Whatever Will Be, Will Be)
しかし、 今では
バターやジャムを塗る 当たり前の食べ方は
まだ浸透しておらず…
給食で こんなトリッキーな組み合わせも。
出典:給食史
(女性のナレーション)
大きなボウルに「おでん」をいっぱいのせて
家庭的な雰囲気を出そうというのは
同じ東京の京橋小学校映像協力:毎日新聞社/アフロ
おでん×食パン を合わせていました。

昭和32年(1957年):コカ・コーラ
出典:コカ・コーラ瓶770ml
衝撃だった黒い飲み物。
アメリカ文化の象徴として、日本でも本格的に販売開始。

地元にあったボーリング場で、飲む瓶のコーラって
いつも以上に、美味しく感じたな…
昭和33年(1958年):チキンラーメン(35円)
出典:日清食品グループ
増え始めた共働き夫婦の味方
手軽に作れるチキンラーメン
世界初のインスタントラーメン。
魔法のラーメンと称されました。

昭和34年(1959年):バンドエイド
出典:アメブロ
そして包帯いらず 簡単に張るだけ
怪我の処置を手軽にした、家庭の常備品の決定版。
昭和35年(1960年)
所得倍増計画が掲げられます。
「私は 月給2倍論 所得2倍論
しかも できるだけ早い期間にということは
私から申しあげているけど。」
【池田勇人 総理(当時)】
さらなる好景気の到来が期待された この年。
昭和35年(1960年):カラーテレビ 21型D-21WE(520000円)
出典:DXはハミングヘッズ
日本初のカラーテレビ
一家に一台家族団らんの中心だった家電
カラー放送開始。当時の価格で52万円という超高級品でした。
【平均年収約30万円(昭和35年)】
当時の年収をはるかに上回る値段だったものの…。
増えるであろう所得を見込んで国民は釘付けに。
昭和36年(1961年):しょうゆ卓上びん(40円)
出典:中川政七商店の読みもの
【食卓の悩み】
どうしても垂れてしまう…
を解決した しょうゆ瓶
キッコーマンによるデザイン革命。食卓の風景を変えました。
【イメージ映像】
「ご注文のお醤油です。」
自宅にお醤油を運んできた男性。
当時 調味料の購入と言えば 御用聞き。
2リットルの瓶から
しょうゆ差しに移すのが定番でしたが…。
出典:しょうゆ差しと受け皿
実はそれまでえぇー家庭で
使われていたしょうゆ差しというものは
必ずそのしょうゆが液だれをするなので…。
しょうゆ差しにはこの受け皿がついているのが
もうほんとに当たり前だったんですけども
我々はその液だれしないえぇーものをと目指して設計をいたしました。
そして 開発されたのが
現在も使われている このしょうゆびん。
【イメージ映像】
畳の食卓で朝ご飯を食べる家族。
ご飯に味噌汁
焼き魚、納豆、漬物。
で、実際に納豆に醤油を指し
奥さんが旦那さんへ醤油回すシーンが放送されました。
出典:昭和の朝ごはんの思い出
一般的なしょうゆ差しの注ぎ口が
上向きにカットされているのに対し…。
キッコ―マンは下向きにカット。
すると液体が真下に行かず…。
中に引き込まれるのです。
さらに持ちやすく倒れにくい。
透明ガラスで残量を可視化できることも
当時は画期的。
今日までに世界(約100ヵ)で累計5億本以上出荷を達成。
😎キッコ―マンのしょうゆさしをする実際の映像をみて、
タモリさんが「あっホントだ。」とコメントしてました。
(こぼれないことに)
【BGM】♬ サン・トワ・マミー 越路吹雪

我が家でもまだ、このキッコーマンさんの
しょうゆ差し、家にありますww
昭和37年(1962年):リポビタンD(150円)
高度経済成長期 真っただ中。
モーレツに働くサラリーマンにヒットした
「ファイト一発!」栄養ドリンクという新ジャンルを確立。
昭和38年(1963年):タッパーウェア
出典: しあわせな暮らし応援ブログ
密閉容器の代名詞。
キッチンの整理整頓に革命を起こしました。
冷蔵庫の普及に伴い 保存容器
タッパーウエアが主婦の心をつかむと…。
世界最大のスポーツの祭典が ついに東京に。
出典:時事ドットコム【白黒映像】
東京オリンピック
バレーボール女子決勝
アメリカVS日本
相手のオーバーネットにより
「日本 遂に金メダル獲得 金メダル獲得であります」
日本中が歓喜した
東京オリンピックんの年。

昭和39年(1964年):VAN

男性もオシャレに!
日本のファッションカルチャーの礎を
築いたといわれるブランドが大ヒット。
若者のファッション意識を一変させました。

男性がオシャレをしていいっていうことを
あるいは 男性は むしろ オシャレをすべきだってことを
まぁーあの訴えかけて…。
カジュアルファッションが始まるまぁあ、きっかけですかね。
スタイリッシュなブレザースタイルや
チノパンなどカジュアルスタイルで人気の…。
出典:Pen Online
【BGM】ArtBlakey Moanin’
VANの紙袋を小脇に抱えるのが
当時のイケてるスタイルでした。
出典:雑誌Begin(ビギン)公式サイト

VANの生みの親 石津謙介の孫で
日本メンズファッション協会理事
石津塁さんに伺いました。
その頃はまだファッションが
それほど浸透していないってもあるんで
一張羅っていうと 大体 当時学生服が
ほとんどだったっていうふうに聞いていて。
ただ その…。
学生服から次に何を着たらいいかって時に
ブレザーだったりボタンダウンのシャツだったり
スタジアムジャンパーだったりみたいな
ものっていうのが…。
日本にはあまり紹介されていなかったので
衝撃があったのかな
そして終戦から20年が経った昭和40年。
それまで 仕事や留学などの目的のみ
出国が許されていいましたが
この前年ついに観光での渡航が許されたのです。
【海外渡航自由化(昭和39年)】
GHQによる占領以来 仕事や留学などに
限られていた海外渡航が自由化された
出典:海外旅行(昭和39年)▷海外旅行の自由化 |
【当時の渡航映像】:海外へ向かう当時の日本人
(ナレーション)
「どこへ行っても首からカメラを下げ
落ち着かない典型的なジャパニーズスタイル
人の前で胸をはだけて見せる
こんなエチケットは
外国ではとても通用いたしません
汗を拭いて そのハンカチで
それではいってまいります」映像提供:毎日新聞社/アフロ
【BGM】八十日間世界一周 テーマ曲 Around the World Victor Young
昭和40年(1965年):ジャルパック
国産初の海外旅行パッケージ
ジャルパックがヒットしました。
初の海外パッケージツアー。
海外旅行が夢から目標になった年。
昭和41年から10年間 当時の公務員の初給料 23300円。
【BGM】🎶sing,sing,sing-wolfganglohr

出典:昭和レトロ
(写真はイメージ)
タモリさんが玄関から入室。
台所の入口に垂れ下がる「たまたま」
「どこの家にもあったとよ」とコメント。
正式名所は、「珠(たま)のれん」
※昭和中期に大流行したもので
玄関から見て居間の部分の目隠しにもなっていたとのこと
タモリさんが「ならないよ」ってツッコんでました。(笑)

・木村佳乃さんは、
「うちでは地震が起こると皆 珠のれんをパッと見て
揺れているかどうか確認していした」とのことで
タモリさんに「振動計だ」と言われていました。

他にも紐のついた電気傘、瞬間湯沸かし器に反応。
出典:ガス瞬間湯沸器
(写真はイメージ)
タモリさんがすぐ怒る人を
「瞬間湯沸かし器」ってよく
あだ名つけてましたけどね。
って発言してました。(笑)

名取裕子さんは、「ありましたね。」…と
黒電話のカバーにくいついていました。

出典:ウーマンエキサイト
(写真はイメージ)

電話は大切な資産だということで
このようなカバーが付いていたとのこと。
タモリさんが 個人的に電話機を集めてる
ちっちゃな博物館みたいなのがいて
(お店に)若い人が入ってきて…
(黒電話を)どうやって使うんですか?って聞かれて
「それ指を入れて回すんだよ」っていったら
あっそうですかっって って
こうやってたっつう。
出典:長崎大学図書館ブログ
※番号の穴に指を突っ込み輪っかの中で指を回していたとのこと
(一同の笑い声)

このタイプの黒電話、小学生まで使ってたww
確かに、今の若い子は、使い方分からないだろうな~
タモリさんが名取裕子さんに
「これわかる?」と質問
名取さんが「懐中電灯?」と答えると
「これテレビのリモコン!」って実際に付くか操作してました。
(名取さんが「えぇ~」とコメント)
リモコンを動かすことで
、テレビ横のチャンネルがクルクル回り
「すご~い」とゲスト一同、驚いていました。
木村佳乃さんが「手で変えていましたけどね。」
と言っていました。

【ドバゴン】っていうの家電、初めて知った。
ちびまる子ちゃんでも、良く手でリモコン変えてたけど、
こういう家電が当時、あったんだな…
出典:レトロな広告
テレビは(当時)90%くらい普及していた
まさにこのテレビっていうのが、新しいウェーブ
流行っていうかそういうものを作る
”流行創造機械”みたいな感じでしたね。早稲田大学教授 野口智雄さんのコメント
また「これ何?」とタモリさんが手に取った男の子の置物…。
出典:信ちゃん ソフビ 貯金箱
名取さんが「貯金箱みたいな…?」というと
「ほんとだ」と、信用金庫のノベルティグッズ
信ちゃんの貯金箱が紹介されました。
(タモリさんは「信ちゃん 知らないな~」と言っていました。)

昭和40年から~50年にかけて
給料が現金手渡しから振り込みに移行
お金を預けるようになったこと
そして 住宅ローンを組んで念願の
マイホームを持ちたい人が増えたことで
地域の信用金庫が熱心なPRを展開したそうです。

タモリ😎さんが
「金利も高かった…
(スタジオ内の昭和家電を見て)色んなものがありますね。」
とコメントしてました。

昭和30年代の文化というのは都市が中心ですけども
この時代になって初めて大衆が現れて
例えば まぁ万博だと
6000万人ぐらいが行ってるのかな?
行ってると思うんですけども。
ほとんどですよね。
現代の大衆消費社会というのができてくる
きっかけの時代かなと。

出典:時事ドットコム
大阪万博(昭和45年)
総入場者数 約6400万人
【BGM】:好きさ好きさ好きさ ザ・カーナビーツ
昭和41年‐50年のキーワード
大衆消費社会
昭和41年…大衆がとびついたのが…。
この年はですねボーナスが史上最高額(当時)だったんですね
だからすごく人々が豊かになったということの表れだと思います。
そういう中で…マイカーブーム 人々が車を買って
自分で運転して遊ぶ文化がここに誕生することになりますけども。
そう 大衆の行動パターンをがらりを変えた
昭和41年(1966年):トヨタ 初代カローラ (432,000円~)東京
出典:トヨタ自動車株式会社
マイカーブームの火付け役
「プラス100ccの余裕」。
日本のマイカー時代を本格化させました。
サラリーマンでも 頑張れば買える
43万という値段設定。
平均年収54万円8000(昭和41年)

人々が車に乗ってあのあちこち移動して
そのあの尋ねるという文化が
誕生したんじゃないかなということがありますし
日本人そのものの行動パターンを
変えてしまったんじゃないかなと
【BGM】恋のフーガ -ザ・ピーナッツ
人々の行動パターンを変えた 初代カローラ。
当時購入し 今も大事に保管している方に
会いに行きました。
【木下一司さん(92歳)の購入の思い出コメント】
バス待ちのあの年の方を
病院まで送っていってあげたりすることも
知らん人でもね遠いところまであの送っていったりね
「動く応接間や」いうて(エヘヘ)自慢して(笑)
奥様(好子さん88歳)は
町長さんを乗せていってあげたりしたな
ようあちこち行ってますわ(フフフッ。)

すごいキレイに保管してあり、びっくりしました。
当時のカセットテープも流してくれていました。
【BGM】:バラが咲いた-マイク眞木
マイカーブームが始まった翌年
東京モーターショーに登場したのが…。
【第14回東京モーターショー(昭和42年)】

出典:東京モーターショー
(ナレーション)
「見せ場は これから。
ご存じミニの女王 ツイッギーの出番です。にっこりわらって5分間
500万円の出演料と238万円の
スポーツカーをいただいて
さっさとお帰り」映像提供:毎日新聞社/アフロ
出典:株式会社 共同通信社 ツイッギー旋風が起こり
ミニスカートが大ヒット!
昭和42年(1967年):ミニスカート
ミニの女王がきっかけでヒット(みんなが真似た)
ツイッギー来日で社会現象に。
ファッションの自由化を象徴。
昭和43年(1968年):ボンカレー(80円)
出典:〈1968年の今日〉2月12日: 世界初のレトルト食品「ボンカレー」発売 |
世界初の市販レトルトカレー。
お湯で温めるだけでプロの味に。
まだミニスカートブームは冷めやらず。
昭和44年(1969年):アツギ パンティストッキング
出典:X
ミニスカートとともに
アツギのパンティストッキングが大ヒット
女性たちの心をつかんだヒット商品が
続きます。
昭和45年(1970年):エメロンクリームリンス(200円)
出典:エメロンシャンプー
リンスを習慣づけた
「振り向かないで〜♪」のCMでお馴染み。
ヘアケア意識が向上。
昭和46年(1971年):カップヌードル(100円)
出典:日清 カップヌードル
そして チキンラーメン誕生から13年。
世界初のカップ麺
カップヌードルが大衆の心をつかむと…。
ボーリングに関係した商品がヒット。
出典:デイリー新潮
(ナレーション)
「女性ボウラーとして
日本で初のパーフェクトゲームを
成し遂げた中山律子プロ
美人のプロボウラーとして人気は抜群
ダイナミックなフォームから
次々とストライクを決めます」映像提供:毎日新聞社/アフロ
さわやかリツコさんの愛称で大人気
中山律子選手が一世を風靡したボウリング。
そして それと共にブームになった商品が…。

【BGM】ひなげしの花 / アグネス・チャン
昭和47年(1972年):カシオミニ(12800円)
出典:昭和view
世界初パーソナル電卓
(😎タモリさんが「結構高かったんだ!」とコメント)

ボウリング🎳ブームが生んだ計算をラクにする商品
「答え一発!」個人が電卓を持つ時代を作った名機です。
ボウリングと電卓にはどんな関係があるかというと…??
カシオは創業者・樫尾四兄弟の
チームワークで成長してきました。
四男・樫尾幸雄が「ボウリングのスコアを手軽に
計算できる電卓はできないか」と言って
開発を始めたのがカシオミニ誕生のきっかけとなります。
※樫尾四兄弟→樫尾俊雄さん、樫尾和雄さん、樫尾忠雄さん、樫尾幸雄さん

樫尾4兄弟さんのことは知らなかったな..。
この番組色々勉強になる。
(ナレーション)
スコア計算がより早く 簡単にできるようになりました。
【BGM】♬また逢う日まで 尾崎紀世彦
昭和48年(1973年):オセロ(2200円)
出典:オセロ公式サイト
世界中に愛好者。
日本のサラリーマンが考案
日本生まれのボードゲーム。
シンプルながら奥深い魅力で大流行。
🌟名取さんが「へぇ~日本なんだ」と驚いていました。
(おそらくこのゲームが日本産っていう点について)

昭和49年(1974年):三代目カローラ
出典:Webモーターマガジン
世界的な大ベストセラーとなり、日本の車を世界基準に押し上げました。
三代目カローラは
フォルクスワーゲンのビートルを抜き
当時当時の車名別 生産台数世界1位に。

そんな トヨタの名が世界にとどろいた翌年
タモリさんがテレビデビューを果たした この年ヒットしたのが…
🌟テレビデビュー
「マンガ大行進!赤塚不二夫ショー」NET(現テレビ朝日)
昭和50年(1975年):チルチルミチル(100円)
出典: Facebook
使い捨て100円ライターの普及。
喫煙シーンを手軽なものに変えました。
当時成人男性の喫煙率約76%(昭和50年)
さらにどこでも吸えるという社会環境がありました。
【街中でのインタビュー】
・「昔だとあれですよね…。
飛行機の中でタバコ吸ってましたからね。
普通に電車の中も」
・「お医者さん 診察しながら吸ってました」
(スタッフの方が驚いていました💦)
「今じゃとても考えられないんだけどそれが普通だった」

いう名前なの知らなかったー(笑)
確かに、昔はドラマや映画内でも
喫煙シーンいっぱいあったな。。
昭和元年から50年が経過。
2026年まであと50年。
平成 令和 時代が動く中
どんなヒット商品が生まれたのでしょうか?

まとめ
以上、第1回の昭和50年までのヒット商品リストでした。
こうして見ると、初期の「栄養を補う」ための商品から、
次第に「生活を便利に、豊かにする」家電へと関心が
移り変わる様子がよくわかりますね。
皆さんの思い出の一品はありましたか?
次回の第2回では、いよいよ昭和51年から昭和74年(平成11年)までの、
技術革新と遊びの文化が花開く「デジタル転換期」に突入します。
次回の更新もお楽しみに!


こちらの『歴代朝ドラ作品一覧』も、
もし好かったらあわせてどうぞ。
あの頃の街並みや暮らしが、名作と共に蘇ります。

タイムマシンはありませんが、メルカリならあの頃に会える気がします。
思い出の旅に出かけませんか?
他の年代もチェック✅する🔍
第2回:昭和51年(1976年)〜昭和74年(1999年)まで
第3回:昭和75年(2000年)~昭和100年(2025年)まで

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