「ミスター」の愛称で愛された
国民的スーパースター・長嶋茂雄。
1958年、東京タワー完成の年にプロ入りし、
巨人の4番として444本塁打を放ち、
王貞治との“ON砲”で9年連続日本一に貢献。
プロ野球人気を押し上げた立役者でもある。
豪快なフルスイング、ダイナミックな守備、
塁上を駆け抜ける姿――
そのすべてが絵になる
“ミスタープロ野球”らしいプレーで
ファンを魅了し続けた。
1959年の天覧試合では、
残り時間わずかでサヨナラホームランを放つ伝説を残す。
1974年の現役最終打席でも通算444号を記録し、
名言「我が巨人軍は永久に不滅です」を残して引退した。
引退後は巨人監督として、15年間でリーグ優勝5回、
日本一2回の実績を挙げ、
背番号3の復活披露でも大きな話題を呼んだ。

第4位:松井秀喜(日米の名門で4番)
| 選手名・ポイント数 | 松居秀喜・(86291pt) |
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| 入団年・退団年 | 1992年・2012年 |
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| ポジション | 外野手 |
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| 在籍チーム | 巨人 MLB:ヤンキース・エンゼルスなど |
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| ひと言メモ | ・どこまでも飛ぶ打球にしびれた! 日本が誇るホームランアーティスト ・世界に誇る超パワー ・日米通算507本塁打 |
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「ゴジラ」松井秀喜は、
高校3年生の夏の甲子園で
5打席連続敬遠という衝撃を経験。
同年、ドラフトで長嶋茂雄のくじ引きにより
巨人に1位入団した。
巨人では不動の4番として活躍し、
2002年には平成の日本人唯一のシーズン50号を達成。
その年末にはニューヨーク・ヤンキースと契約し、
2003年の本拠地デビュー戦では
満塁ホームランでファンに衝撃の挨拶をした。
さらに2009年、ワールドシリーズで特大ホームランを放ち、
日本人初のワールドシリーズMVPを獲得する快挙を成し遂げた。

第5位:野茂英雄(日本が誇るトルネード)
| 選手名・ポイント数 | 野茂英雄・(41250pt) |
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| 入団年・退団年 | 1989年・2008年 |
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| ポジション | 投手 |
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| 在籍チーム | 近鉄 MLB:ドジャース・レッドソッークスなど |
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| ひと言メモ | ・メジャー挑戦の先駆者 ・日本人メジャーリーガーのパイオニア ・打者有利の球場で前人未踏のノーヒットノーラン |
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日本人メジャーリーガーのパイオニア、
野茂英雄は社会現象を巻き起こした伝説の投手。
日本プロ野球では5年間で最多勝4度を記録し、
その実力を示した。
1995年、夢の舞台とされた
米メジャーリーグへ単身挑戦。
当初はマイナー契約で年俸も
大幅ダウンという厳しい状況だったが、
5月にメジャーデビューを果たし、
6月には6勝無敗・完封2つの大活躍を見せた。
さらに1年目に日本人初のオールスター先発投手に選出され、
米国でも熱狂的な「NOMOマニア」を生む人気に。
1996年にはコロラド・ロッキーズの
本拠地クアーズ・フィールドで、
日本人唯一のノーヒットノーランを達成。
「メジャーでは通用しない」という評価を覆し、
日本人がメジャーで活躍する道を切り開いた
偉大な選手が5位にランクイン。

第6位:落合博満(3度の三冠王)
| 選手名・ポイント数 | 落合博満・(30539pt) |
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| 入団年・退団年 | 1978年・1998年 |
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| ポジション | 内野手 |
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| 在籍チーム | ロッテ・中日・巨人・日本ハム |
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| ひと言メモ | ・野球の神様に愛された! 歴史に残る4番打者 |
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トレードマークの神主打法で、
プロ野球史上唯一の
3度の三冠王に輝いた
天才打者・落合博満。
1978年プロ入り後、
1987年には初の1億円プレーヤーとなり、
契約更改での「いちろくご!」は
有名なワードとなった。
伝説の一戦は1989年、
中日vs巨人戦での
ノーヒットノーラン目前からの
逆転サヨナラホームラン。
代打で出た仲間のヒットで流れを作り、
落合が右中間に放り込む
劇的な一打で勝利を呼んだ。
1994年には巨人との最終戦
「10.8決戦」で長嶋茂雄を胴上げする目標を達成。
先制ホームランと勝ち越し
タイムリーで歴史的一戦を制し、
ファンを感動させた。
さらに中日監督として
4度のリーグ優勝を成し遂げ、
「オレ流」はちょっとした流行語にも
なるなど、野球界に強烈な足跡を残した。

第7位:新庄剛志(稀代のエンターテイナー)
| 選手名・ポイント数 | 新庄剛志・(22108pt) |
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| 入団年・退団年 | 1989年・2006年 |
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| ポジション | 外野手 |
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| 在籍チーム | 阪神・日本ハム MLB:メッツ・ジャイアンツ |
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| ひと言メモ | ・ドキドキ!ワクワク! 野球の楽しさを広める伝道師・球界屈指のエンターテイナー |
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現役時代、ゴールデングラブ賞10回を獲得し、
メジャーでも活躍した新庄剛志は、
球界屈指のエンターテイナーとして
「新庄劇場」でファンを魅了するスーパースター。
選手としての遊び心も健在で、
敬遠球をサヨナラヒットにするなど名場面を残した。
2004年の日ハムvsダイエー戦では、
幻のサヨナラ満塁ホームランという珍事件も発生。
田中幸雄との抱擁で回転し前走者を追い越したため
アウト判定になったが三塁走者が先にホームインして
勝利は変わらず、「さすが新庄」と語り継がれる場面となった。
その後監督に就任しても新庄劇場は健在で、
まさに「これからはパ・リーグです」
を体現し続ける存在である。

第8位:松坂大輔(平成の怪物)
| 選手名・ポイント数 | 松坂大輔・(15881pt) |
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| 入団年・退団年 | 1998年・2021年 |
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| ポジション | 投手 |
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| 在籍チーム | 西武・ソフトバンク・中日 MLB:レッドソックス・メッツ |
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| ひと言メモ | ・ファンも驚く真っ向勝負! ルーキーから大活躍の怪物 ・日本人初ワールドシリーズ勝利投手 WBC2大会連続MVP |
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高卒ルーキーで新人王&最多勝(16勝)、
メジャーでも日本人初のワールドシリーズ
勝利投手となった松坂大輔は、
WBC2大会連続MVPなど「平成の怪物」
の名にふさわしい活躍を見せたスーパースター。
1998年、甲子園春夏連覇を達成し、
同年のドラフトで西武に1位指名されプロ入り。
世間は空前の松坂フィーバーとなり、
キャンプ地には約1万5千人のファンが詰めかけた。
プロデビュー戦では日ハム・片岡篤史を相手に
三振で仕留め、倒れ込む片岡の姿は
今も語り継がれる名シーンとなった。

第9位:バース(2年連続三冠王)
| 選手名・ポイント数 | バース・(15322pt) |
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| 入団年・退団年 | 1983年・1988年 |
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| ポジション | 内野手 |
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| 在籍チーム | 阪神 |
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| ひと言メモ | ・必ず打ってくれる安心感 2年連続三冠王 史上最強助っ人 |
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日本でのプレーはわずか6年ながら、
2年連続三冠王を達成した
史上最強助っ人・ランディ・バース。
世界の王貞治の記録に並ぶ
7試合連続ホームランという
驚異的な長打力も誇った。
ファンの記憶に残るのは、
球史に残るバックスクリーン3連発。
1985年、バース、掛布、岡田の
3連発は阪神球団初の日本一に貢献し、
伝説の名シーンとして今も語り継がれている。

第10位:古田敦也(ID野球の申し子)
| 選手名・ポイント数 | 古田敦也・(15267pt) |
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| 入団年・退団年 | 1989年・2007年 |
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| ポジション | 捕手 |
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| 在籍チーム | ヤクルト |
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| ひと言メモ | ・走られても必ず刺してくれる メガネのキャッチャーは大成しないを覆した名捕手 ・シーズン盗塁阻止率 歴代No.1 |
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1989年、野村克也監督率いる
ヤクルトにドラフト2位で
入団した古田敦也は、
メガネ姿から「のび太」と呼ばれたが、
1年目から正捕手の座を掴み
ゴールデングラブ賞を獲得。
プロ4年目には、未だ破られない
シーズン盗塁阻止率歴代1位(.644)を記録し、
キャッチャーとしての常識を覆す活躍を見せた。
打者としても2年目に首位打者のタイトルを獲得。
2006年には選手兼監督として
「代打オレ」を披露し、
最後の試合でも代打ヒットで締めくくった。

第11位:桑田真澄(蘇った大エース)
| 選手名・ポイント数 | 桑田真澄・(12426pt) |
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| 入団年・退団年 | 1985年・2008年 |
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| ポジション | 投手 |
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| 在籍チーム | 巨人 MLB:パイレーツ |
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| ひと言メモ | ・ファンも唸った! 投げる 守る 全てが一流の大エース!・巨人歴代最長21年連続 「18」を背負ったエース |
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1985年、ドラフト1位で
巨人に入団した桑田真澄は、
沢村賞、最多奪三振、
最優秀防御率など数々のタイトルを獲得し、
巨人歴代最長の21年連続
エースナンバー18を背負った大投手。
幼い松坂大輔が憧れ真似し続けた存在
としても知られる桑田だが、
ファンの記憶に残るのはケガからの復活劇。
1995年5月24日、ファールフライの
捕球で右ひじ靭帯断裂という大怪我を負い、
約2年に及ぶリハビリ生活を経て、
661日後に復帰戦を迎える。
そして683日ぶりに勝利を挙げ、
マウンドに右ひじをつき祈る姿は伝説となった。

第12位:掛布雅之(ミスタータイガース)
| 選手名・ポイント数 | 掛布雅之・(11898pt) |
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| 入団年・退団年 | 1973年・1988年 |
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| ポジション | 内野手 |
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| 在籍チーム | 阪神 |
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| ひと言メモ | ファンの期待に応えた 阪神不動の4番バッター |
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1985年、阪神の4番として
2リーグ制以降初の日本一に貢献し、
ドラフト6位から“ミスタータイガース”と呼ばれる
大打者に成長した掛布雅之。
松井秀喜が憧れとする選手で、
左打ちに転向したきっかけにもなった。
名シーンは、プロ野球史上唯一の
オールスター3打席連続ホームラン。
1978年後楽園球場のオールスター第3戦で、
4回に第1号、5回に第2号、
8回に第3号と驚異の3連発を記録した。
本人曰く、狙ったわけではなく、
憧れの王貞治を前に打てればと
思った結果の快挙だった。

第13位:清原和博(通算525本塁打)
| 選手名・ポイント数 | 清原和博・(11479pt) |
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| 入団年・退団年 | 1985年・2008年 |
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| ポジション | 内野手 |
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| 在籍チーム | 西武・巨人・オリックス |
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| ひと言メモ | ・ホームラン見たさにファン殺到を沸かせたプロ野球選手 ・通算525本塁打(歴代5位) |
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1985年、つくば万博の年に
ドラフト1位で西武に入団した清原和博は、
プロデビュー戦で初ヒットが
ホームランという強烈な印象を残す。
高卒1年目ながら打率3割・ホームラン31本を記録し、
パ・リーグ初の年間観客数600万人突破に貢献。
子ども向けマンガ「かっとばせ!キヨハラくん」でも人気を博した。
名シーンは1987年日本シリーズ、
西武vs巨人で見せた涙。
ドラフトで別々の道を歩むことになった桑田と再び対戦し、
第6戦、あと1アウトで日本一の場面で
守備につきながら涙を流す清原と、
それを慰める辻発彦の姿は、
多くのファンの心に刻まれた。

第14位:原辰徳(巨人の若大将)
| 選手名・ポイント数 | 原辰徳・(11021pt) |
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| 入団年・退団年 | 1980年・1995年 |
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| ポジション | 内野手・外野手 |
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| 在籍チーム | 巨人 |
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| ひと言メモ | 女性ファンを虜にした 巨人の(永遠の)若大将 |
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王貞治、長嶋茂雄の後を継ぎ、
巨人の4番を務めた若大将・原辰徳。
1980年、4球団競合の末に巨人入団。
プロ1年目から22本塁打を記録し、
その甘いマスクと実力で巨人の顔となる。
現役時代のCM契約は7本にのぼり、
アイドル的人気も誇った。
名シーンは1989年日本シリーズ、
巨人vs近鉄の第5戦での満塁ホームラン。
巨人1勝3敗で迎えた崖っぷちの状況で、
シリーズ打率.000の不調を吹き飛ばす一撃。
7回裏2アウト満塁で放った
会心のホームランでムードを一変させ、
巨人は3連敗からの4連勝で日本一を達成した。

第15位:野村克也(戦後初の三冠王)
| 選手名・ポイント数 | 野村克也・(10494pt) |
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| 入団年・退団年 | 1954年・1980年 |
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| ポジション | 捕手 |
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| 在籍チーム | 南海・ロッテ・西部 |
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| ひと言メモ | プロ野球戦後初の三振王 ボヤキもまた魅力 |
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野村克也はプロ入り12年目に、
キャッチャーでありながら
戦後初の三冠王を達成。
さらに6年後には、王貞治より先に
プロ野球史上初の500号ホームランを記録。
通算657本塁打で歴代2位に名を刻んだ。
引退後は監督としてもリーグ優勝5回、
日本一3回を達成。
名物の「ボヤキ」は、ファンや取材記者にとって
楽しみの一つとなった。

第16位:江川卓(昭和の怪物)
| 選手名・ポイント数 | 江川卓・(10181pt) |
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| 入団年・退団年 | 1978年・1987年 |
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| ポジション | 投手 |
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| 在籍チーム | 巨人 |
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| ひと言メモ | ・”昭和の怪物” 子どもたちが心を奪われた時代のヒーロー |
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プロ9年間で通算135勝をあげた
昭和の怪物・江川卓。
高校時代から注目され、1973年春のセンバツでは
1大会60奪三振という伝説を記録。
ノーヒットノーラン9回(本人の記憶では10回)、
完全試合2回、20完封、
36イニング連続無安打無失点など
怪物ぶりを発揮した。
江川のボールは
「ホップして浮き上がる豪速球」として有名。
対戦経験のある栗山英樹は、
ピンポン玉のように軽く浮き上がる
球を唯一無二の体験と語る。
江川本人も生涯で3~4回、
普段とは異質の浮き上がる球を投げたことがあるという。

第17位:鳥谷敬(WBCで神走塁)
| 選手名・ポイント数 | 鳥谷敬・(7927pt) |
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| 入団年・退団年 | 2003年・2021年 |
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| ポジション | 内野手 |
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| 在籍チーム | 阪神・ロッテ |
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| ひと言メモ | ・顔もプレーもカッコいい! 9回2アウトで走るその姿に惚れた! ・クールと熱さを持つナイスガイ! ・WBCで日本を救った鉄人! |
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2003年プロ入りの鳥谷敬は、
歴代2位の1939試合連続出場や
史上50人目の2000本安打を達成する偉大な選手。
記録だけでなく、常にクールに振る舞う姿も
ファンの記憶に残る。
名シーンは2013年WBC日本vs台湾戦。
9回2アウト1塁、あと1アウトで
大会を去る崖っぷちの場面で
塁上の鳥谷が盗塁成功。
続く井端のヒットで一気にホームへ還り、
クールな鳥谷が雄叫びを上げる珍しい瞬間を見せた。
本人曰く、一生で一度きりの雄叫びで、
その夜は興奮して眠れなかったという。

第18位:クロマティ(平成最強の助っ人)
| 選手名・ポイント数 | クロマティ・(???pt) |
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| 入団年・退団年 | 1984年・1990年 |
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| ポジション | 外野手 |
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| 在籍チーム | 巨人 |
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| ひと言メモ | ・頭部死球退場・翌日に代打満塁ホームラン ・独特のバッティングフォームで一世風靡したムードメーカー、 ・巨人史上最強の助っ人。 |
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1984年、巨人に入団したクロマティは
明るいキャラクターでファンに愛され、
スタジアム名物のバンザイコールを巻き起こした。
1987年発売のファミコンソフト
「燃えろ!!プロ野球」では
「4番クロマテ」として登録され、
バントでホームランになる逸話も残る。
伝説の試合は1986年10月2日、ヤクルト戦。
頭部デッドボールで退場した翌日、
代打で登場し満塁ホームランを放つ。
ファンの心配をよそに、
クロマティは最高の結果でチームを盛り上げた。

第19位:高橋由伸(平成の天才打者)
| 選手名・ポイント数 | 高橋由伸・(???pt) |
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| 入団年・退団年 | 1997年・2015年 |
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| ポジション | 外野手 |
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| 在籍チーム | 巨人 |
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| ひと言メモ | 平成の天才打者! |
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1997年、慶應大学から
ドラフト1位で巨人に入団。
1年目から打率3割・19本塁打を記録し活躍。
端正なルックスと美しい打撃フォームで、
スター選手としてファンに愛された。

第20位:ラミレス(平成最強の助っ人)