☘日常

“じいちゃんへ”書いた手紙。

 

こんにちは。

昨日3月25日は

亡くなった祖父の命日でした。

 

 

2023年3月25日の

天気はあいにくの雨。

数年前の三回忌?も

雨だったと記憶していて

「祖父が泣いているのかな?」

なんて…

家族・親戚で話した記憶を

今思い出しました。

 

 

 

亡くなった祖父が家に帰ってきた時。

まだコロナ禍の真っ只中で

火葬するまで

普通より数日長く、

家にいることができました。

 

 

ずっと家に帰りたがってた祖父。

今思うと、最後にゆっくりできたのかな?

なんて思ったり….

そんな時、、、

テレビをつけると、

志村けんがコロナで亡くなったと

速報が流れて…

それが

ずっと忘れない1日の春の記憶です。

 

 

 

🎶福山雅治さんの「道標」にのせて

 

お葬式までの数日間。

最後に祖父に出来ることを考え

想い出のアルバムを引っ張り出し

そして

この曲を姉が選び、

お葬式で流す動画を

自ら作成させて頂きました。

家族の思い出の1曲です。

 

 

今でも

編集しながら1人

パソコンの前で泣いた記憶があります。照

今でもお仏壇にそのDVDが飾ってあります。

 

そしてお葬式当日

棺の中へ。

手紙も入れさせてもらいました。

ちゃんとじいちゃんへ

届いていると嬉しいな。

 

携帯のメモの中に手紙の下書きが

出てきたので

時効かな?笑

せっかくなので公開します。

 

 

じいちゃんへ

 

今日は家で過ごす最後の夜だね。

家族7人揃って同じ部屋で寝るの初めてだね。

それにしても、じいちゃんに手紙を書くの

初めてかな。まとまらないけど、読んでね。

じいちゃん、入院生活お疲れ様。

入院生活、約1年間ずっと家に帰れなかったから辛かったね。

仕事だったり、自分の病気やコロナでなかなか病院に顔を見せれなくて本当にごめんね。

でも病院にカップアイスを持っていった時、美味しそうに食べてくれた事、

本当に嬉しかったよ。

おじいちゃんの孫として、この家に生まれて、本当にいろんな事があったね。

赤ちゃんの時、一緒にお風呂に入った事。

内孫に男の子が誕生して鯉のぼりもあげてくれたね。

幼少期、手を繋いで近くの川に蛍を観に行ったね。凄くきれいだったなー。

小学生の時は、運動会の応援や習い事の迎えにもよく来てくれたね。

中学生の時は、おじいちゃんが建てた家を増設して

二階を建てることを了承してくれたね。

中学生の時から自分の部屋を持てて嬉しかったよ。

反抗期の時は、あまり話さない時期もあったけど、

ずっとまじめに研究熱心に畑仕事をしていたね。

色んな分量を考えて、時には失敗したり、

『野菜は毎回味が変わるから、日々勉強してるんだ』って話もしてくれたね。

よく耳に鉛筆をかけて色々書き物や計算もしてたっけ。

字もすごく上手で綺麗で、器用に色々作っていたね。

夏休みは部活動が終わったり、

応接間で宿題をしているとみんなで集まって一緒にクーラーに当たって

ジュースを飲んだり、昼寝もしたね。

春は、白菜、じゃがいも、ねぎ、なす、かぶ、大根、ほうれん草、つみな。

夏は、トマト、ミニトマト、唐辛子、きゅうり、ピーマン、かぼちゃ、梅干し。

秋は、しいたけ、たくあん。

本当に毎年、毎年、色々な野菜をありがとう。

日曜日は決まって、のど自慢を観たり、

3時のおやつで廊下でみんなでお茶を飲んだの楽しかったね。

いつだったか一緒に木に、しいたけの菌を入れたこと、

夏の晴れた暑い日に梅干しを干した事、絶対忘れないよ。

もう食べれないのがまだ信じられないけど、

世界で一番美味しい野菜でここまで大きくなりました。本当にありがとう。

高校生の時は雨が降ったりするとよく学校まで送り迎えをしてくたね。

相撲、野球、サッカー、バレー、卓球などスポーツを観ながら、

つけものやお刺身、もつ煮、焼いたスルメを食べながらいつも

美味しそうに惣誉のお酒をいつも決まった席で飲んでたね。

小さい頃は、酒乱で乱暴になるおじいちゃんが嫌いな時もあったけど、

それで精神的に強くなれたし、

仕事だけはきちんと勤めて、一緒にお酒を飲む仲間が沢山いて、

ギャンブルには一切手を出さなかったよね。

病気をした時は、すぐ、たばこもきっぱり辞めたし、

じいちゃんはやっぱり1度決めた事はすじを通して、

きっちりしていたし、かっこいい自慢のじいちゃんだったよ。

大学で1人暮らしをしたり、仕事で引っ越しをした時は、

お小遣いも沢山くれたし、帰った時はいつも明るく迎えてくれたね。

本当にありがとう。

沢山の孫が次々に誕生して、

歳後だったからお年玉大変だったよね。

旅行もあまり行かない、家が大好きなじいちゃんだったから、

いつも贅沢もしなかったし、

もっと自分にお金を使ってもよかったのにさ、

みんなの事をいつも一歩ひいて、

よく考えてくれていたのかなって今思うとすごく感じるよ。

今年のお正月、何年かぶりに大晦日からお正月を家でゆっくり過ごしたけど、

じいちゃんは病院で一緒に過ごせなかったよね。

最後に一緒に過ごしたのはいつだったかな?お酒も弱かったし、

一緒に飲む機会が少なかったこと、後悔してるよ。

家で過ごす最後の夜、少しだけどお刺身美味しく食べてくれていたら嬉しいな。

 

最後に、

 

①料理は残さず、魚はきれいに食べること。

②玄関の履き物はきちんと揃えること。

③そしていつも家をきれいにしておくこと。

 

ずっと実践していくよ。

もう●●家を名乗る血筋の孫の男は

僕一人。

じいちゃんはよく、お前の歳の時は、もう家を建てていた、

とか、結婚していたって言ってたよね。

しっかり後世にじいちゃんが生きていた証を残せるように、

早くいい人を見つけて、

子孫を残して、バトンを繋げて、この家も家族も守っていくよ。

少し落ちついたら野菜も作ってみようかな?

 

やっぱりもっと色々野菜作りの事聞いておけばよかったな。。

この世は、かたちあるものが全てじゃないってお寺で聞いたことがあるんだけど、

この先、自分も後何年生きるかわからないけど、

きっとまだまだ壁にぶつかる時が来ると思う。

だからその時は、相談にのってね。そして人生の道標になってね。

 

なかなか上手くまとまらなくて

感謝の言葉も伝えきれないけどもうすぐお別れだね。

お通夜と告別式には、ぼくが作った動画が流れることになったよ。

いつか夢で感想聞かせてね。

天国にはじいちゃんの大好きな両親や兄弟、

沢山のお友達やペットが待ってるね。

天国でも美味しい野菜をいっぱい作って

みんなで楽しいお酒をいっぱい飲んでね。

そして家族をいつまでも見守ってね。

じいちゃんの孫に生まれて良かった。

じいちゃん、お疲れさま。

そしてありがとう。

   2020年3月30日 けんいち

 

 

畑作業を終えて 庭を眺める いつかの祖父

 

 

最後まで読んでくれてありがとうござました!

m(_ _)m